twitterが提供する刺激について
刺激と反応はセットである,というのは行動理論における基礎的な方程式である。
つまり,どんな刺激を受けるとどんな反応になるか,予測ができるし,制御もできるということ。
このことを身近な例で言うと,犯罪(反応)の起きにくい街作り(刺激)や,ダンナに浮気について口を滑らせる(反応)かまかけ(刺激)にも応用される。
情報は刺激である。
今まではマスメディアがTVや新聞などに限られており,情報が制御されてきた。
今はtwitterなどの新しいマスメディアにより情報は前ほどは制御されず(しようとする動きは常にあると思うが),個人が選択できる時代となっている。
そこで最近矛盾を感じることについて書きたい。
twitterやfacebookでみられる無言の「べき論」である。
たとえば震災に関して,「前向きなことや,義援金についていうべき」という風潮を感じる。
twitterなどが「新しいマスメディア」であり続けるときの障壁に,この「べき」論があると思う。
このままでは,twitterユーザーが批判するフジTVと一緒ではないか,とふと思う。
少なくとも私は,義援金についてや前向きなことばかりになってしまったつぶやきたち(刺激)を見て,フジTVなどで放映されている延々と続く感動物語(刺激)を見たときと同じ違和感を抱く(反応)。
くま(♀)