プロフェッショナルとしての村上春樹

村上春樹木 「走ることについて語るときに僕の語ること」 読んだ。そこで、印象に残った箇所をいくつか、メモ程度に記そう。
前提として、春樹さんは「小説家」という自分の生業を、高度の「プロフェッショナリズム」を持って捉えていて、「プロ」の小説家としていかに質の高い作品を継続的に作り続けるか、という思想で生きていると思う。
これは「思想」なので、好き嫌いはあれど、善し悪しの問題ではない。
個人的には、同じ「プロフェッショナル」のような職業に就いている者として、一見してまったく質の異なる職業の人がプロフェッショナリズムについて書く文章からは学ぶところが多い。

小説家にとって彼が必要だと考える3つの資質は、才能・集中力・持続力。1つめの才能の有無は自分の力ではどうにもならないが、後者2つはトレーニングで後天的に強化することができ、それによって才能の使い方をある程度コントロールできる。

真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。小説家の場合の説明は、彼の文章がこの上なくよく言葉に表している。たとえ小説家でなくとも、仕事に伴う「不健全さ」や「毒素」に長期に対抗するには、体を健全にし、「自己免疫システム」の強化に励む、というのが、プロフェッショナルとして活躍し続けるためにできる一つの有効な方針だと思う。

彼は、30歳前後、で職業小説家になることに決め、同じ時期にランナーとしても走り出す。そして、走ることを通じて、自分がどのような人間であるかの洞察・分析を深め、プロフェッショナルとしての自分に活かしていく。彼も書いていたが、一つのことを長く続けることで、自分で分からなかった自分の側面や、自分の本当の傾向・性質を見ることができる。この発見は、「どのようなことを長く続けることができたか」という点から始まる。
僕は、彼が小説家になると決め、走り始めた年代を迎えつつある。いま、僕にとって、彼のように一生をささげようと決めた職業はないし、また、一生続けられる活動も決まっていない。ただ、テニスは好きでずっとやっているし、それを通じて、何よりも多く自分のことについては学んだ気がする。そういえば、MBAのエッセー問題の一つにも、そのような内容のことを書いたな。

「継続は力なり」というが、「継続は発見なり」とも言える。僕も、彼のようにプロフェッショナリズムを追求できる (かつ他の面でも健全に幸せになれる)ような職業を決定し、また、継続して自分への考察を深められ、健全を保てるような活動に出会いたい(もう出会ってるかもしれないが、その確信を持って臨みたい)ものだ。

いまは休日の午前中、これからテニスで自分への考察を深めてきます。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)