学業の位置づけ

スタンフォードMBAにおける学業 - 授業や成績 - の位置づけは微妙なところだと思う。

大学院というより、日本の学部に近いかもしれない。いちおう単位を取らないと学位はもらえないけど、成績は就職に直接影響しないし、みんなが成績を競っている訳ではまったくない。

勉強を頑張るインセンティブ(外的な動機付け)、というのはいくつかある。
ひとつは、最低クリアしなければいけないGPA(評定平均)があって、クリアしない卒業が危うくなるとかペナルティがあるらしい。あと、学校を通じたバイト(TAとか)をするにもクリアしていなければいけないGPAがあるみたいだ。
先輩によると、学期が終了するごとに、評定が危ういと学長から「もっと頑張れ」メールが来るらしい。

もう一つは、成績上位者に対する表彰である。各学年で2年間を通してGPA上位10%は、Arjay Miller Scholar (昔の学長の名を冠した名誉)と呼ばれ、卒業式やウェブサイトで名前が好評される。卒業後に学校に授業で講演者として戻ってきた場合などで紹介されるときは、○○年卒で、Arjay Miller Scholar の・・・と紹介されたり、個人的な名誉にもなるかと。
学期ごとの上位者にも学長から「よく頑張ったね。次も頑張れ」メールが来たり、上位者だけ招待されるディナーがあったりと、「ご褒美」を上げて動機付けを図っているみたいだ。

一方で、ほとんどのMBA生が目標として来るキャリアチェンジについては、成績はほとんど関係しない。ひとつは成績が決まる前に就職活動がほとんど終わるから。もう一つ大きいのは、成績非開示という生徒間の伝統があり、自身の成績や順位について就職活動中や卒業後にも誰にも述べないからである。

生徒にとっては、成績が公開されないから、学生は自分が得意だったり経験のある分野だけでなく、不得意だったり全く新しい分野の授業に躊躇なくチャレンジできる、というメリットがある。また、そもそも学業には最低限の力しかかけず、起業・ネットワーキング・その他課外活動など、自分で優先順位を決めて没頭することができる。
全員を同じ軸で競争させるのではなく、自分で自分の大事なことや道を決めて行動する、という、スタンフォードのフィロソフィーに沿ったいい制度だと思う。

グループでプロジェクトをする授業がほとんどだけど、そのグループを組むときも、はじめのミーティングで、「成績どれくらいを狙っていく?」という会話が必ずある。そこで、「合格できればええよー」という流れになることも、「せっかくだから頑張って、でも効率的にやろうぜ」となることもある。

個人的には、僕はついついマジメに準備したり、テスト勉強もマジメにする方。プロジェクトについても、アウトプットの質について、「これくらいはできるだろ」みたいなラインがあるから、頑張る側になってしまう。そのせいか、必然的に仲のいい人にもそういう姿勢の人が多少は多くなる気がする。

そんな自分の姿勢について、「自分は学業で結果が出ることを正直に個人的にやりがいを感じる」からヨシとする部分と、「でも本当に一番いい時間の使い方なんだろうか。他にやるべきことがあるのでは?」と疑問視する自分もいる。
去年の冬に、あるアメリカ人先輩と話していたときに彼が言っていたのは、「いま自分はちょうど上位10%に入るか入らないかくらいの位置にいる (*評定平均が上位何%にあたるかの目安は公表されるが、自分の具体的な順位は分からない) から、最後の学期にどれくらい Arjay Miller を目指すかが悩ましい。ここまでは自分の興味とマジメさに任せていい成績を残せたけど、賞を取るために友達と離れる前に濃い時間を過ごす最後のチャンスである春学期に成績を気にしすぎるのはイヤだ。でもせっかくだから賞は取っておきたい気もする」 と話していたのが印象的である。

僕も2年目になって、子育ても手のかかる中で、この姿勢をどの程度維持するかが現在悩ましいところである。といっていちおうマジメな姿勢は崩さない (崩せない) んだろうな、と既に分かってる。もしこの先輩の立場になったらどう考えるんだろうか。自分の大事なこと、やりたいこと、やるべきと思っていること、欲望などを正直に把握して、自分に正直な時間配分をできるんだろうか。自分についてまた一つ考える契機になる気がする。



PS そして大学生のときに全然授業に出てなかったのは何でなんだろう、と改めて疑問に思う。。