ドロドロ決めて,すっきり生きてる

何かを決める時,たぶん人よりも時間をかけて,たぶん考えなくてもよい色んな可能性を考えて,
すごく落ち込んだりして,疲れて考えるの止めるってプロセスがどうしても必要みたい。

答えは最初に決まっていて,このプロセスがなくても答えは同じだから,このプロセスの意味は
答えを出すことではなく,プロセス自体,つまり非生産的な色んな可能性について疲れるまで考えることに
あるらしい。

この決める何かとは,ほんと些細な趣味をどう進めるとか,集まりに行くとか。
色んな可能性とは例えば,自分の性格(特に周りからのネガティブな評価)とか,自分の意思決定の傾向についてとか,感情・衝動の程度とかとか。。

考え出すと一日裕に使ってしまうけど,
最近はダンナとずーーっと一緒にいるから,答えしか重視しない彼にばしっと「もう答えは出てるから考えなくてよくって・・・」と切られてしまうことが多いけど,どうにも欲求不満状態に陥ってしまう。


この一連のプロセス,すごくつらいんだけど,たぶんすごく好きなんだろうなと最近になってきづいた。
たぶん止められないし,止めたくないからこのプロセスのポジティブな面についてせめて考えてみよう!
(開き直るしかないし!)

まず,このプロセスを踏んで決めたことはほとんど後悔したことがない。
それがどんなに世間的に変わった決定でも,どんな方向から「それは○○すべきだった」と思わせる出来事があったとしても,決定事項は変わることはほんとにない。
個人的には,かっこよく決めて,かっこよく〝もどってくる”人がうらやましく感じてしまうことがよくあるけど,
このドロドロ気持ち悪く決めるけど,〝もどってこない”ところがすごく生産的な気がする。(だから止められない!)

次に,考えなくてもよいことまで,「これって考えなくてもいいだろうなー」と思いつつも日々考えることって,ネガティブな出来事について拒絶せず冷静に対処したり,深い思考が必要なときにすぐに考えをまとめる訓練になってたりするのかも。(自分の専門の臨床心理って分野のスタイルにつながってる?)



とポジティブになったことろで,高校の時に毎日のように2時間くらい,恋愛の悩みのようなものを話してて,すごく優しい仲良しの限界を見たような出来事を思い出した。

このスタイルは変えないけど,人への迷惑には気をつけながら静かに続けていこっと。
(まあダンナにはもうちょっと迷惑をかけよっと♪)