スタンフォードMBAの裏側: アメリカ的なるもの?

ここに来てもうすぐ半年。
スタンフォードは大したところだなぁ」と思うことのうちいくつかについては紹介してみた
スタンフォードGSBの文化
Standing Out and Blending In at Stanford の記事
スタンフォードGSBの『ビジネスモデル』

同時に見えてくる、「なんだかなぁ」というところも多々ある。

友人のパキスタン出身、アメリカ育ち、日本オタクなヤツがいろいろとフラストレーションがたまっているらしく、シニカルに語ってくるんだけど、「なるほどなぁ
」と思う部分も多いので、一度言葉にしてみることにした。

表:「スタンフォードはいつもオープン」
裏:「『オープン』とみなされない言動は存在してはならない」

スタンフォードは「オープンさ」というのを、文化として称えている。それは、Diversity (人種、性的趣向)にせよ人格にせよ、異なる相手を認め合うということでもあるし、競争的ではなく協力的、という意味でもある。

一方で、「文化である」ということは、「望ましい行動を規定し、言動を制御する暗黙のルール」でもあるということ。
故に、「ここはオープンではない」といった学校に対する意見や、「○○のようなタイプは嫌い」といった人物・デモグラフィーへのマイナス意見は、「スタンフォード的ではない」ので、よしとされない。
ほんとに「オープン」なら、そういった「オープンさ」についての評価も自由にできるはずなのに、そんな気配は見られない。

そもそも、いくらフィットを見て選別している(かつ生徒も自ら志望してくる)とはいえ、様々な価値観、バックグラウンドから来ている生徒が、すべて「スタンフォード的」である、しかも入学早々から自然とそういう言動になるのはおかしな話である。
だいたい、学年の半分くらいはHBSも両方受かってんだろ、と。

文化が強い(よく浸透している)こと自体はいい。アメリカのような建前から造られた国の組織で様々なバックグラウンドの人をまとめるには、効率的な方法である。(アメリカに限らず、総じて文化とは組織の構成員の行動を低コストで統制する機能を持つもの)

でもなんか、「オープンさ」を押し出しておいて、「オープンじゃないヤツにはオープンじゃない」ってのは何か矛盾してませんか、と。

よく言われる話で、
「外国人がアメリカ人とあまり馴染めないのは、外国人からアプローチが足りないからだ」なぜなら、
スタンフォードアメリカ人は当然、外国人にオープンなんだから。馴染まないのは君の努力不足に違いない」と。
んなアホな。

アメリカ人の中には「アメリカは世界の中心」という思想が染み付いていて、アメリカ人どうしでいる方が楽で自然、という人も多くいるし、そうでない人もいる。
「オープンマインドでいたほうがいいですよ」というのはまだ許せるけど、「ここにはオープンマインドな人しかいるはずがない」という建前を事実として押し出すのは、現実からさすがに乖離してないか。

この違和感の理由としては、ここに述べた、現実からの乖離、というか、一部の現実を望ましくないものとして見ない姿勢への嫌悪と、
文化が、学校やその構成員が成功するためというよりは、学校のマーケティング・スローガンとして使われているのではという懐疑によるのだと思う。

後者の例としては、前述の友人が学長と話していたときのことで、学長曰く、
「起業するよりは、有名企業に就職してくれた方が学校としては嬉しい。在学中に起業するのはよろしくない」と言っていたらしい。
発言の真偽は定かではないけど、もし本当だとしても驚かない。
そりゃみんなこぞって起業するよりも、大半が無事に大手企業に就職し、就職率とか卒業後平均給与といった他校との比較の指標を上げてくれた方が、学校(の短期のマネジメント)としては嬉しいだろう。
起業して大成功しても、その人が大量の寄付金を納めるころには学長も変わってるし。。

もうちょいマイナーな点としては、
表:学校は卒業生とのつながり、卒業生からの善意の寄付金を大事にしている。実際、財源の大部分を寄付金(とその運用)で賄っているよ
裏:「成功したら当然、君たちを成功に導いたスタンフォードに多額の寄付をすべきだ」。(でも失敗しても責任とりません)

表:成績は非開示なので、学業は優先したい人は優先して、他の活動を優先するのも自由ですよ
裏:でもトップの人は表彰されるので頑張って。でも成績の付け方とかは割といい加減だよ。だってどうせ非開示だし、うちはInnovativeだから毎年試行錯誤で、君たちはみんな実験用マウス(Guinea pig)なんだよ。


とまぁ、いろいろと「なんだかなぁ」と思う部分はありつつ。

スタンフォードの学生は総じて面接の準備が甘い」とか、京大のようなことを言われて、会社から寛大に見られたり、
「リクルーターの連絡先を生徒どうしで気軽に教えあう(敵に塩を贈るようなことする)なんて東の学校では聞いたことない」とか言われると、
ここのそういう文化自体は悪くないな、と思う。


こんな感じのことを2年生のアメリカ人の友人と話していたら、
「この時期はみんなが自分を『スタンフォードっぽく』偽るのに疲れてくる時期だよ。いずれみんなもっと自然になるし、自然とここちのよい仲間を見つけていくよ」と。
僕はそもそも全然スタンフォードっぽく振舞ってない(つもり)ので、早くみんなそうなっておくれ、という気分である。