MBAで学べること?

MBAで何を学べますか?」という質問に簡単に答えることは(僕には)できない。ほんとに人それぞれだから。
授業で学べることという側面だけをとっても、なかなか包括的な説明はできないな、と思う。
実際にクラスメートによって、「この授業は素晴らしい、たくさん学んだ」という人と、「何の役にも立たん」という人がいる。

なので、これはあくまで、僕の個人的、かつ、たくさんあるうちの一面だけの、MBAの授業での学び、として紹介したい。



教室での一般的な授業は、ある会社のある時点における状況・経営判断についての「ケーススタディ」やその他の教材を題材に、先生のレクチャーおよび生徒の間の議論のミックス、で行われる。
そこで得られる学びは、最大公約数的なものとしては、
・その講義での該当のトピックについて、教授の意図するもの (「まとめ」「今日のポイント」とかで箇条書きでにできるもの)や
・その授業全体を包括する原則の一端 (戦略の授業なら、「戦略とは・・・のようなもの」、とかそういう広い視点のもの)
というのがある。
でも、それというのは、本を読めば書いてあるし、別にMBAに行かなくても既に経験上知っていたりする。

それ以外の学びで、個人的に後に残したいな、と思うのは、例えば次のようなものだったりする。

どういう職業バックグラウンドの人が、どういう考え方をするか
発言する生徒の経験してきた仕事や国や文化によって、同じ経営課題を考える際の視野、問題の捉え方などにどういう違いがあるか。これはすごく興味深い。
投資銀行出身者はこう考えるんだー、とか、ヘッジファンドの人はこういう財務指標を興味深く見るんだな、とか、事業会社の人は現場でこういうリアルな体験をしてるんだな、とか、グーグルってこう動いてるのか、などなど。

こういうのを通じて、これまで自分のレパートリーになかった考え方を取り入れられたり、例えば今の仕事を続けた場合にどういう人とどういう話し方をするのがより通じやすいか、とか、将来どういう仕事に就くのが自分にあってそうか、というヒントも得られる。


広い視点から改めて強み・弱みを捉える
これは何も授業に限ったことではないけど、授業の場だけでも当てはまる。
最初のポイントとも似ているんだけど、これまでの仕事で携わってきた戦略とかオペレーションとかの課題や、そこで自分がとってきたアクションについて、至らなかった点を反省することが多い。

もちろん、「そうそう、あのときのプロジェクトでこういうことを考えた」など、既に知っていて実行した内容を確認することも多い。
そういう場合は、議論の中での発言からクラスメートの学びに「寄与する」側には立てれど、あまり自分の学びにはならない。

一方で、これまで仕事の上では「これでOK、考えるべきことは考えた、できることは全てやったし、必要なスキルは十分についていて活用できた」と思っていたことでも、似たようなケースについての議論を通じて、「○○の視点から考えていればもっと深い分析・提言ができたかもしれない」とか「○○に気を付けて実行したらもっとうまくいったかもしれない」といった点に、はっと気づかされることもしばしばある。
そういうときに、ここに来てよかったな、と思う。


僕にとっては、こういう学びが、授業の中で得られる個人的なものである、気がする。

ただ、これは、ここに来ている大きな意味から考えたらすごく枝葉のことでもある。こういうことを学ぶためにここに来ている訳では決してない。

自分が自分の人生の中で、目指している大きな方向性 (○○な人になる、○○な人生を送れるように心がけ続けたい、ということや、大事にしている価値観)が朧気ながらあり、
その方向性を合致した中・長期的な目標や具体的な職業選択、仕事をする上で達成したいゴール、身に付けたいスキルがあり、
そこに至る過程として、MBAに来てこういう授業を受けて、こういう学びを感じ取っている、感じ取ろうとしている自分がいる。

MBAに来る目的・意味というのは、こういう大きな、そして極めて個人的な価値観に起因している。
また、MBAというのは、2年間という膨大な時間の、授業・課外活動・就職活動・日常生活・人間関係、といった包括的な人生経験である。
だからこそ、MBAで学べることというのは、人によって全く違うし、大きなものでありうる。


僕は、MBAで何を学べますか」と聞かれたり、MBAでこういうことを学んだ・・・」と紹介するときにすごく困る。
相手がどういう人生を送りたいかによって、答えられる・答えるべき内容が全く違ってくるから。
それを理解せずに答えると、言ったことが相手にとっては見当違いになったり、相手の判断を狂わせることになるんじゃないかな、と心配する。
相手がそういうことをどれくらい考えながら僕の言ったことを消化してくれるかも考えなきゃいけないし、なかなかむずかしい。。。

design principles

冬学期の Electronic Business という授業*1の一環で、IDEO社のPartnerがゲストとして来た。
そこで講義していたのが、新しい商品のデザインを仕込む際の十カ条

内容自体は、すごく目新しいものでもなく、「まぁそりゃそうだろな」ってなもんだけど、正しいことはだいたいそう思えるもの。
自分が意識的に実践しようとしているか、はまた別。

これまで自分は、デザインというのはきっと得意ではなく、特殊な感覚やセンスが必要とされるアートだと思って諦めていた節があった。
もちろんその観点は強いんだけど、100%説明できない感性によるアートなのではなく、ある程度までは要素分解してアイデアだしや絞込みをすることができる。
実際に、授業ではこの原則に基づいて新しい携帯テレビ電話をどうデザインするか、というエクササイズをやってみた。
それを通じて、単なる食わず嫌いでデザインは自分の役割ではないと切り捨てないで、自分もやってみようと思わせてくれた。

単純ながら、目を開かせてくれたレクチャーだった。
自分のためにも、その十カ条を書き留めておきます。

  • Design for the spectator - 第三者に見えるようにせよ

 その商品を使っているところを、道行く他人が目にするように仕組む。そうすることで、実際に普及している数よりも、よりヒットしているように「見える」。iPodのあの白いイヤホンが最高の例。人に見えるところに仕掛けをする。

  • Grab attention appropriately - ただ目立とうとしてやりすぎない

Observability (見えること)とDesrability (ほしくなること)の間にはマイナスの相互作用もありうる

  • Map observability - 「観客」とのタッチポイントを網羅的にとらえる

 たとえば、通販の箱も、近所の人が見る可能性のあるもので、商品が潜在顧客に露出する機会の一つ

  • Simple & Consistent - 簡単に、統一感のあるメッセージを

 例: blu-ray: パッケージもロゴもイメージもすべて「ブルー」

  • Defy convention - 当たり前に終始せず、ぶっとんだアイデア
  • Invite intrigue - 謎めいた要素も入れ込む、興味を喚起する
  • Focus on visible bits - 見える部分により注力する

 同じくiPodの例で、潜在顧客に見えるのは、本体かイヤホンか?

  • Use other senses - 視覚以外の五感に訴える

 ネットワーク効果とは、すごく単純に言うと、「より多くの人が使っていることが、自分がその商品を使うことの価値を高める」(例:電話やファックス、Facebookなどなど)。爆発的な普及には欠かせないが、それよりも、それ自体が価値のあるものではなければ、そもそも一人目が買わない

  • Reinforce the link - 購買サイクルを強化する

 アクセス>サーチ>検討>購買>デリバリー (+カスタマーサービス) のループのどこへの効果を狙うのか。

やはり、内容自体にマジックがあるわけでない。
でも、こういう原則をしっかり頭に入れて、忠実に考えることで、より質の高いアイデアも出せるし、アイデアの価値についての検討もしやすくなる。
もちろん、感性も必要。アート&サイエンス。


改めて言いたいのは、これは僕にとっては意味のある授業だった、ということで、スタンフォードGSBやビジネススクールで一般的に学べることのリストに載ってくるものではない。
僕がビジネススクールに求めている学びの一つは、個人的に苦手だと思っていたことへの意識を予期せぬ形で変えてくれることで、それも数ある求めている学びの一つに過ぎないし、求めてもいなかった学びがあることに、最も期待している。

*1:Supply Chain Management という必修科目の Advanced版

思い出のTahoe

2月に、 Lake Tahoe というスキーリゾートで、同級生12人ほどで週末を過ごした。
定番の旅先で、人によってはお金を出し合って、シーズン通して別荘を借りる人も。

うちらは、同級生の台湾人でホテル業の子が素晴らしい家を探して、週末だけ借りてくれた。
5ベッドルーム、暖炉、ジャグジーがあり、ここでのんびりしているだけでも素晴らしい週末。

その子のリクエストで、初日は僕らが全員にすき焼きを振舞った。
ベジタリアンの人がいたり、生卵はこっちのは危ないから、自分でリスク取りたい人はどうぞ、という形式にしたり、と工夫は必要だったけど、
予想以上に好評!

アクティビティーは、1日はスキーして、もう1日はスノーモービルに乗って、
夜はみんなで飲みながら語りあって。

夜にジャグジーで語り合ったのが楽しかった。
今回のメンバーはほとんどが non-American だったので、盛り上がったのは、
アメリカ人って○○だよねー」 という会話。

やっぱスタンフォードは、どれだけ国際化とか多様性を謳っても、アメリカの学校。
main audience はアメリカ人だし、それは生徒の態度、先生の教え方にも現れている。
もちろんいろんな人がいるんだけど、
今回の旅行の仲間は、とりわけアメリカで、「外人」であることを割と強く意識しているメンバーだったのかも。

あまり社交的でなく、それほど同級生と広く交流している訳ではない僕は特に、
400人の同級生から、卒業時に10人ほど、本当に信頼できる生涯の友人ができれば十分、と思っている。
今回のメンバーは、予想以上に気の合うところの多い面々で、旅行して語り合えて本当によかった。

特に、ビジネススクールだと、みんな何だかんだエリートで、あまり知らない同士だと肩肘張ってしまうことが多い。
だけど、強気でアグレッシブに見えたマッチョなヤツが、実はすごく思慮深く思いやりがあったり。
見た目はまったく異なるけど、アメリカについて、とか、この学校について、とか、共通した感じ方や将来の不安があって、それを共有できる。
そういう仲間が徐々に作れてきていることを実感して嬉しくなった旅行だった。
この2年間について、一生の思い出となるだろう。

Stanford ゴルフデビュー

今年は、こっちにしても冬らしくない冬で、早くも最高気温は20℃を超え、昼には芝生でゴロンとする人も増えてきている。
(でも夜は寒い)。


先日、ついに、念願の Stanford Golf Course にデビューしてきました!
全米で5本の指に入るキャンパスコース。タイガーもミシェルウィーも練習したコース。

こっちに滞在中の会社の同僚と2人でラウンド。
生徒は1人 $25 でラウンドできる!なんと激安。でもゲストは$100以上する、歴としたメンバーコース。

組み合わせも普通にある。
今回は、僕ら2人と同組で、メンバーのおじさん1人。
ずっと昔のスタンフォードOBで、今はこっちでマーケティング会社をやっているとのこと。
ラウンドしながら、『君の会社ではマーケティングのプロジェクトとかあるのか?』とかいろいろ聞いてくる。

そうか、こうやってゴルフコースでネットワーキングするのか、と、ちょっと勉強。

そのおじさんは、11ホールでホールアウト。
『この年になると18ホールは疲れるからね。クラブハウスに近いところで切り上げるんだ』と。さすがメンバー。

新しい経験で楽しかったけど、こっちきてからテニスばっかしてたので、結果はイマイチ。。

『上手くなって帰らないと日本の友人にバカにされるんじゃない?』とメンバーおじさん。正解!


ラウンドしたい人はお声がけください。



テニスコートもきれいで夜10時過ぎても照明が!

Linsanity ってなんでこうなったの?

Linsanityがえらいことになり過ぎて、会話のネタが尽きたらその話になるので、ついていかない訳にはいかない状況になっている。。

彼のここまでのすごさについてはこことかどこかで読んでもらうとして (今後も話題は続きそうだから)、僕が気になったのは、

なんでこれほど突然の大活躍になったのか?

ということ。

力はそもそもあったけどアジア人とかハーバード卒という経歴が与える先入観で見落とされていた?
チームのシステムやチームメイトとのコンビネーションがはまった?
精神力が強かった、解雇続きの土壇場で開き直って、一度の成功が自信につながった?

それぞれ部分的に正解だろうし、ほかの要因もあるかもしれない。
それ自体はきっと、ESPNとか見てたら解説されまくってて、それらしい説明があるんだろう。今度詳しい友達に聞いてみよう。


僕がこれを見てて最初に気になったのは、「テニスではこういうことはまずないだろうなー」ということ。
テニスでも『ブレイクする』という現象はあるけど、ここまで急に世界の大舞台で立て続けに結果を出すのは難しい。1-2年かけて、徐々に結果が積みあがってくるのが普通。
錦織だって、2011年の後半から今にかけて「ブレイク」してきたけど、それほどの勢いではない。

バスケの特性なのかな?
でもバスケの世界でもLinは「歴史上最大のブレーク(初先発から○試合の総得点で史上最多とか)」みたいな感じになってるから、バスケでも珍しいことなんだろう。

ということで、もっと一般的に、
「スポーツごとに個人のパフォーマンスを左右する要素にどういう特徴があるんだろう」
ってのを書いてみた。

あくまで、「チームとしての成績」ではなく、「個人のパフォーマンス」を左右するもの。

  • 身体能力 というのは、例えば背が高いとかジャンプ力・体力・筋力・柔軟性とかそういう要素。「体力を限界まで追い込む」ようなスポーツとか、「恵まれた身体」が生きるスポーツで大事
  • 感覚・テクニック とは、そのスポーツ特有の技術面で、テニスでいうとタッチの柔らかさとか。でもどのスポーツもかなり大事な気がして、有意義な比較にならず。。重量挙げとかだと比較的重要度は下がるかな。
  • 精神力 そのまま
  • チームメイトとのコンビネーション とは、自分を活かし、自分が活かせる仲間によって、自分のパフォーマンスがあがるか、ということ。サッカーのFWだと、自分に絶好のアシストをしてくれるか、とか。当然、チーム競技では、これは自分のパフォーマンスを左右する重要な要素
  • システムとの相性 とは、チームの方針に沿って自分が活きるかどうか。サッカーのシステムとか言うじゃない(詳しくないけど)。野球だと「監督の方針」かもしれない。「お前は抑えだ」とか。
  • 場所的要因 天気、風、球場、サーフェスなど。スキーとかこれ大きいよね。
  • そのまま。これらのスポーツって、「運がよかっただけっす」とか言ってるけど、それは本当にランダムな「運」じゃないだろ、ってことが多い。本当に運に左右されることは少ない気がする。


縦軸は、「個人でコントロールできる度合い」で、横のスポーツは勝手な想像で「個人への依存度合い」でおおまかに並べてみたので、
左上から右下に◎が並ぶ感じになっている。

こう見ると、テニスなんかよりバスケは、チームやシステムが個人のパフォーマンスも活かすも殺すもし得るので、
(身体能力や精神力はそもそも備わっていた)Linがこれまでのチームでダメで、いまブレイクしているのもうなずける。


続いての問題は、
今見逃している、次のJeremy Lin をどう見つけて登用するか
ってこと。


種目特有の重要指標はあるのか?

各種目ごとの今後のパフォーマンスの予想となる指標が分かり、測れれば、次の才能を見つけることができる。野球でいう Moneyball の話です。

テニスだったらなんだろうな?
テニスで勝負を左右するのは、試合を分ける数ポイントでどうプレーするか。
そういう意味で、
Break points convert 率 / break points saved 率 / タイブレーク奪取率 / ゲームポイント (自分or相手)でのウィナー数/ミス数
あたりが物語る気がする。
こういうデータ見てみたいな。


バスケではこういうデータはあるのだろうか?
自分が攻撃の起点となったときに、最終的にチームが得点している率 とか?

興味深いな。
バスケに詳しい人教えてください!


【おまけ】
Jeremy Lin の先ほどの試合を決める3ポインター

Jeremy Lin が与えるインスピレーションについての記事

Moneyball: The Art of Winning an Unfair Game

Moneyball: The Art of Winning an Unfair Game

Mechelin ディナーs

なぜ複数形かって、10日間で星付きレストランに2軒も(ほぼ)自腹で行くという暴挙に出てしまった。


ふつうの日曜の夜に衝動的に嫁さんと行ったのが、Baume

空いてたからとりあえず予約したら、なんとキャンセルポリシーによりキャンセルに厳罰が!
というわけで、「しょうがない、行くしかないねー☆」と張り切って行ってみた。

場所はスタンフォードのキャンパス内の家から徒歩圏内で、隠れ家的な場所。
店内はどちらかというと静かでモダンでダークな感じ。メニューは決まった季節のコースのみ、ワインのペアリングがクラスにより2段階。
僕はワインのペアリング(並)つきで注文。

一品一品が細かく作られていて、器もモダンで凝っている。
ウェイターもクラッシーに毎回説明の最後に Cheers! って締めくくるし、上品かつ楽しげな食事だった。
液体窒素で凍らせたかぼちゃを暖かいスープに入れて、Hot&Coldを同時に楽しむとか、シリコンバレー的なイノベイティブさの表れだろうか。
そういえば日本酒がペアリングで出ていた、ワサビソースの品もあったな。













『五感で「わーっ」って楽しませる感じ』<= 妻

唯一の誤算がワインのペアリング。それぞれは悪くないんだけど、料理をすごく際立たせるかと言えばそこまでではなく、
そしてやはり全部飲むと量が多い!

一通り料理とペースを合わせて全部飲んでいたら、最後の方が酔いが完全に回ってた。
嫁さん曰く、「ペアリングとか酔わせたいデートに男が使うよね」って。
僕らはそんな必要はないんだけど。ってか自分が潰れてどうする。

すごく美味しく楽しかったけど、僕らはもう一回行くかと言うと、「んー行ってもいいけどやっぱもういいかな」、って感じ。
嫁さん曰く、「私はもっかい行ってもいいなぁ☆」




もう一軒が、The Village Pub
ここは、こっちに出張に来た同期を連れて。

高速脇の道路の何もないところに建っていて大丈夫か、って感じだったけど、中は大賑わい。
ワイワイ。
ほぼすべて中高年。

ここはもうちょいアメリカ的な接客で、「これ絶対食べたほうがいいよ」というお馴染みの押し付けがましさ。
しかも、「ここの料理はシェアしたほうがいいよ」と言うから、「全部シェアするね」といって頼んだのに、
それぞれ単独のお皿で出て、取り皿もわざわざ頼んでやっと、「シェアするんだっけ?」みたいな感じで。
面倒な接客だった。

料理は、メインよりもアペタイザーの方が好評で、アメリカにしては」という枕詞があれば「美味しいね☆」と続く。
まぁアメリカ料理だから、その評価で十分いいのかも。


どっちの料理にも温泉卵があり、美味しかったのが印象的 (Baumeは名物の62degree eggという名らしい、Village Pub はアワビのアペタイザーについてて、写真忘れた)。













でもうちで作った味付け煮卵(&チャーシュー)もうまいよ。



PS 日頃、Yelp とか 食べログ とか個人ブログとかでレストランの取捨選択をしてるけど、人の判断に役立つレビューってむつかしいね。
僕はこれは間違いなく、「行きたくなくなる」方の書き方だし。
でもそういうレビューの方が個人的には参考にしてたりするので、まぁええかな。

スタンフォードMBAの裏側: アメリカ的なるもの?

ここに来てもうすぐ半年。
スタンフォードは大したところだなぁ」と思うことのうちいくつかについては紹介してみた
スタンフォードGSBの文化
Standing Out and Blending In at Stanford の記事
スタンフォードGSBの『ビジネスモデル』

同時に見えてくる、「なんだかなぁ」というところも多々ある。

友人のパキスタン出身、アメリカ育ち、日本オタクなヤツがいろいろとフラストレーションがたまっているらしく、シニカルに語ってくるんだけど、「なるほどなぁ
」と思う部分も多いので、一度言葉にしてみることにした。

表:「スタンフォードはいつもオープン」
裏:「『オープン』とみなされない言動は存在してはならない」

スタンフォードは「オープンさ」というのを、文化として称えている。それは、Diversity (人種、性的趣向)にせよ人格にせよ、異なる相手を認め合うということでもあるし、競争的ではなく協力的、という意味でもある。

一方で、「文化である」ということは、「望ましい行動を規定し、言動を制御する暗黙のルール」でもあるということ。
故に、「ここはオープンではない」といった学校に対する意見や、「○○のようなタイプは嫌い」といった人物・デモグラフィーへのマイナス意見は、「スタンフォード的ではない」ので、よしとされない。
ほんとに「オープン」なら、そういった「オープンさ」についての評価も自由にできるはずなのに、そんな気配は見られない。

そもそも、いくらフィットを見て選別している(かつ生徒も自ら志望してくる)とはいえ、様々な価値観、バックグラウンドから来ている生徒が、すべて「スタンフォード的」である、しかも入学早々から自然とそういう言動になるのはおかしな話である。
だいたい、学年の半分くらいはHBSも両方受かってんだろ、と。

文化が強い(よく浸透している)こと自体はいい。アメリカのような建前から造られた国の組織で様々なバックグラウンドの人をまとめるには、効率的な方法である。(アメリカに限らず、総じて文化とは組織の構成員の行動を低コストで統制する機能を持つもの)

でもなんか、「オープンさ」を押し出しておいて、「オープンじゃないヤツにはオープンじゃない」ってのは何か矛盾してませんか、と。

よく言われる話で、
「外国人がアメリカ人とあまり馴染めないのは、外国人からアプローチが足りないからだ」なぜなら、
スタンフォードアメリカ人は当然、外国人にオープンなんだから。馴染まないのは君の努力不足に違いない」と。
んなアホな。

アメリカ人の中には「アメリカは世界の中心」という思想が染み付いていて、アメリカ人どうしでいる方が楽で自然、という人も多くいるし、そうでない人もいる。
「オープンマインドでいたほうがいいですよ」というのはまだ許せるけど、「ここにはオープンマインドな人しかいるはずがない」という建前を事実として押し出すのは、現実からさすがに乖離してないか。

この違和感の理由としては、ここに述べた、現実からの乖離、というか、一部の現実を望ましくないものとして見ない姿勢への嫌悪と、
文化が、学校やその構成員が成功するためというよりは、学校のマーケティング・スローガンとして使われているのではという懐疑によるのだと思う。

後者の例としては、前述の友人が学長と話していたときのことで、学長曰く、
「起業するよりは、有名企業に就職してくれた方が学校としては嬉しい。在学中に起業するのはよろしくない」と言っていたらしい。
発言の真偽は定かではないけど、もし本当だとしても驚かない。
そりゃみんなこぞって起業するよりも、大半が無事に大手企業に就職し、就職率とか卒業後平均給与といった他校との比較の指標を上げてくれた方が、学校(の短期のマネジメント)としては嬉しいだろう。
起業して大成功しても、その人が大量の寄付金を納めるころには学長も変わってるし。。

もうちょいマイナーな点としては、
表:学校は卒業生とのつながり、卒業生からの善意の寄付金を大事にしている。実際、財源の大部分を寄付金(とその運用)で賄っているよ
裏:「成功したら当然、君たちを成功に導いたスタンフォードに多額の寄付をすべきだ」。(でも失敗しても責任とりません)

表:成績は非開示なので、学業は優先したい人は優先して、他の活動を優先するのも自由ですよ
裏:でもトップの人は表彰されるので頑張って。でも成績の付け方とかは割といい加減だよ。だってどうせ非開示だし、うちはInnovativeだから毎年試行錯誤で、君たちはみんな実験用マウス(Guinea pig)なんだよ。


とまぁ、いろいろと「なんだかなぁ」と思う部分はありつつ。

スタンフォードの学生は総じて面接の準備が甘い」とか、京大のようなことを言われて、会社から寛大に見られたり、
「リクルーターの連絡先を生徒どうしで気軽に教えあう(敵に塩を贈るようなことする)なんて東の学校では聞いたことない」とか言われると、
ここのそういう文化自体は悪くないな、と思う。


こんな感じのことを2年生のアメリカ人の友人と話していたら、
「この時期はみんなが自分を『スタンフォードっぽく』偽るのに疲れてくる時期だよ。いずれみんなもっと自然になるし、自然とここちのよい仲間を見つけていくよ」と。
僕はそもそも全然スタンフォードっぽく振舞ってない(つもり)ので、早くみんなそうなっておくれ、という気分である。